マイルドヤンキーってそんなに悪いのか

マイルドヤンキーという言葉が、2014年くらいにはやったそうだ。

マイルドヤンキー - Wikipedia

エグザイルが好きで、地方でミニバンにのってイオンに行くのがペルソナとのこと。

ヤンキー自体には悪いイメージがない。ノリが良くて、気さくな印象だ。

しかも強い。クローズの世界だ。

しかし、マイルドがつくと、まろやかなノリの良さ、もしくは穏やかな強いという、

ちょっと気持ち悪い感じは出てくる。

マイルドとヤンキーという語句自体が、相反する言葉であって、

冷たい炎みたいに世界にないものを反映しているのだろうか。

それほどまでに、実体として掴みづらい存在なのか、マイルドヤンキーは。

 

田舎にいくと、マイルドヤンキーとされる人は多数いると思う。

地元の友達のinstagramを見ていると、そんな感じの人ばかりだ。

都会から田舎を見て、蔑むための言葉という気もする。

実際にそういう人がたくさんいるわけだし、

どちらが多数派かと言われたら難しいところだ。

そうなってくると、個々人が持っているセンス・感覚からみて、

そのライフスタイルをどう捉えるかということになってくる。

マイルドヤンキーは、かっこいいのかダサいのか。幸せなのか不幸せなのか。

 

田舎は生活費も安いし、多少気力がなくても、生活はなりたってしまう。

そういう現状をよしとして、欲望を抱かない若者を指して、批判しているのかもしれない。

そういう意味では都会にもマイルドヤンキーはいるのではないか。

というかむしろ、若者全体がそのような傾向があるのではないだろうか。

由々しき問題だ。

なにかがしたいとか、欲しいとか、そういう気持ちが薄いのが

マイルドと言われる所以という気がしてきた。

高い車を買うのはたしかにかっこいいとは思えない。時計も無駄だと思う。

でも、美味しい料理を食べるのは好きだ。

そういう欲望を抱いているかというと、田舎の人達は抱きづらいのかもしれない。

SNSやらで情報は溢れ帰っているし、ECもこれでもかというくらい流通している。

そんな世の中でも欲望を抱けないのはなんなのだろうか。

情弱でものを調べるのが苦手なのだろうか。

そういうものに興味すらないのか、気力が起きないのか。

これでよしとする精神はたしかに間違っていると思う。

いいものを知らないというのも一つあるかもしれない。

情報をしるということに対する感度の低さが、

こういった自体を招いているかなと思う。

コンビニ店長→ウェブディレクターになったマイルドヤンキー

学校を卒業した後コンビニ店長になり、

2年たってからウェブディレクターになりました。

部長から「ウェブで飯を食っているのだから、ブログでなんか書け」と言われたので、

文章を書いています。

なんかって、なんだ…?

 

特技は遠投で、100mくらいボールを投げられます。

中学のころ監督にキャッチボールから全力で投げろと言われて、

毎日続けていたら高校3年生のころにはそれくらいになりました。

文章を毎日全力書いていったら、今度はPCを100mくらい投げられるのでしょうか… 

 

趣味は食べることで、

最近、白身魚とキウイのカルパッチョを作りました。

素材をみて発想を膨らますのが楽しいです。

マイルドヤンキーであることとは…

 

コンビニ店長とウェブディレクターの仕事は真逆の仕事に見えますが

それとなしに共通点が見えてきたような、

そうでもないような。

 

マイルドヤンキーを自称していますが、マイルドでもヤンキーでもないです。

ただ、気持ちだけはマイルドヤンキーとして、日々ブログを更新していければと思います。

 

次回は「マイルドヤンキーってなんだ…?」という題で書く予定です。